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「それからはどう生きよう」

新ジブリが来る!とザワついたアメリカ人は原題と英題を見比べ、「全然違う」とひと言吐いた。数日前ついにアメリカに来たので、英字幕で観に行き、そしてどうしてこの英題になったのか自分の中で妙に納得したので解釈してみた。


この映画、「戦争」というワードが出てくる。

それでイメージできる時代。出兵、砂糖が貴重、シベリア、三百円、シニカルに注釈なくヒントが出てくるのだけど、だからと言って、彼らにはそれがどうしたという事になってしまうだろう。頭を抱えて帰るかもしれないし、少年と青鷺の話だったよ、と語るかもしれない

。ただ、それはまるで日本人の幼少期に通ずる、気付き、みたいだ。



千と千尋の神隠しを劇場で観れたど真ん中世代の私は、カオナシが吐き舞うのをみて、トラウマになった。けれどこの一生でどれをよく観たかは一択になる。今回の映画だと青鷺がぷくぷくに肥えた魚を丸呑みにするシーンはあの頃を思い出させて眉が寄った。ジブリに育てられた日本人ならそのトラウマやキラメキにシュンッと戻る瞬間があるのがこの映画の特長で、人によって変わるその数え切れないシーンが凝縮されていて、他作品よりもどの世代のためでもある、と、そんな印象を持ったのは、何も私だけじゃないはずだ。





キリコは出帆した動いているのかも分からない大小の無数の船を横目にガンガン漕ぐ。大魚が釣れた、つまり大物を買いに、客が大勢やって来る。彼女のならと信頼している様子で着くまでに並んでは、いまか、いまかと待っている。このキリコというキャラクターがなんとも私の胸を衝く。


恩師である、美術の先生の大きな独り言、

「こんなん俺の年になると思い付かんくなるから」を聞いた私は若さに触れているだけに面白くなかった。17の私はリミットの設定を知り、焦りも知った。と同時に、考え出すとそれを書き記すまでやっぱり起きて満足いってから寝ようとする私には関係のない話、私は彼のようにはならないだろう、という自分を知った日でもあった。






今作に出てくる白い積み木。情熱で積み上げ、愛し、忘れたように冷め、色が消え、形は違えど似た物になる。愛すればそれをさいごまで作りたいだろうし、もしまたその愛になるものに気づいたら、怖いはずだ。きっと怖い。やせ細ったものでなく、たぷたぷのハートを作りたいのだから。生命絶えるまでリミットという死は来ないのだきっと。



ジブリも彼が居る限りあり続ける。

さあ、それからはどう生きよう。



前のめりでみる「君たちはどう生きるか」と

「The Boy and the Heron」という世界。

最初はみんな純粋だったこと、この作品は結晶であると知った。




illustration:

ERINA HORTON

ERINA HORTON
illustration

《私は映像と本の虫、マグマ並みのラブ》



















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